ネタバレありです。
やっぱり一番気になるところなのでまとめました。
老安で死んだのは驍宗なのか?という部分に書きましたが、状況的に驍宗は生きています。
アリバイ探して証拠集めしてってまるでミステリーですね。
時間かかりそうななので随時更新。
間違ってる部分や不足しているところ、皆さんの意見もコメントやTwitter(@ikemen_tokyo)などで教えて下さい。
第一巻、第二巻のネタバレ感想も書いています。
驍宗が行方不明になる前後の時系列
- 弘始元年12月(第三章141ページ)
- 暮れ、土匪が古伯の県城を占拠
- 街を占拠した土匪は500
- 弘始二年1月(第三章141ページ)
- 禁軍中軍(12500)に文州師と協力し土匪の討伐、街の開放、民の保護の指令が下る
- 英章軍は半月後、琳宇に到着 郊外に陣を構える
- その後半月を待たずに古伯を解放
- 古伯解放直前に近隣三箇所で暴動が発生、文州師と鎮圧にあたるも暴徒同士が結託、琳宇から轍囲へ戦線が拡大
- 謀反を疑い王都から驍宗、霜元の出征が決まる
- 弘始二年2月
- 霜元を伴い驍宗が文州へ向かう
- 驍宗は阿選から禁軍右軍二師を借りた
- 阿選軍の武将は堅品
- 霜元を伴い驍宗が文州へ向かう
- 弘始二年3月
- 3月初め驍宗、霜元と共に琳宇に到着(第三章156ページ)
- 到着直後の目撃談
- 荒民の話(六章348ページ)
- 琳宇に到着した直後 立派な騎獣に黒い鎧
- 琳宇の陣にいたのは1日程度、大勢の兵が西へ移動してからは見かけなかった
- 嘉橋の荒民の話(六章353ページ)
- 土匪に嘉橋の県城を占拠される、7日後に王師が奪還
- 県城奪還の後に城に入る驍宗の姿を見た
- 志邱の荒民の話(六章353ページ)
- 土匪に物資を略奪され、その後に王師が物資を届けてくれた
- その時、街の外で黒に鈍銀の飾りの鎧、虎に似た騎獣をもった驍宗を目撃
- 陣営の近くで驍宗が二、三人と相談事をしているようだった
- その中の1人が赤黒い鎧をつけた顔色の悪い武将で、後に先頭たって志邱を誅伐に来た
- その男が一般人らしい男を指差し驍宗に説明をしていた
- 荒民の話(六章348ページ)
- 到着直後の目撃談
- 軍議で豊沢へ向かうことが決まる
- 進軍2日後、驍宗が霜元に腕が立つもの1人+精鋭15人を貸してほしいと伝える。霜元は騎乗付きで貸し出す。
- 驍宗別行動の目撃談
- 嘉橋の荒民の話2(六章356ページ)
- 軍勢が轍囲方面に向かうことになった
- 嘉橋から轍囲へ抜ける細い山道で軍勢を見た
- 街道添い 7日
- 細い山道 3日
- 白い虎に似た騎獣と黒い鎧、兜はつけていない 髪は白
- 赤黒い鎧で統一された兵卒に周囲を囲われ急いでいた
- その道で向かう先は轍囲か、函養山しかない
- 一眠りしたら、先程の集団が戻ってきた
- 驍宗の姿はなく、怪我をしているものもいた
- 集団は急ぐ様子もなく、押し殺した喜び、ニヤニヤしているような者もいたように感じた
- 朽桟の話(八章129ページ)
- 行軍の途中から王らしき人物が手勢を連れて函養山へ登るのを見たという目撃談
- その手勢が後の掃討戦で目撃され赭甲と呼ばれていた赤い鎧の軍勢だった
- 赭甲は気配に敏くて土匪が震え上がるほど残忍で腕が立った
- 嘉橋の荒民の話2(六章356ページ)
- 進軍3日後、俐珪軍が土匪の襲撃を受ける、驍宗が護衛25騎とともに行方不明なのがわかる
- 驍宗別行動の目撃談
- 翌日、計都だけが帰ってくる
- 3月末?
- 老安付近で行き倒れの武将を里の木こりが拾う
- 刀傷らしい複数の傷、山野をさまよってできた無数の傷、生きているのが伏木が尿な深手
- 3月初め驍宗、霜元と共に琳宇に到着(第三章156ページ)
- 弘始二年4月
- 土匪に対して徹底的な掃討が行われる
- 弘始二年5月?(十章226ページ)
- 岨康の東から北の斜面を東へ登っていく甲冑もない、騎獣も馬もない武人風の十数人を目撃
- 身なりは悪くない。立ち居振る舞いに隙がないうえ、全員が獲物を持っていた
- 一人は足を引きずって仲間に肩を借りて歩いていた
- 文州騒乱が一応の解決
- 承州で反乱
- 李斎 承州へ派兵される
- 霜元、承州へ派兵される
- 英章に帰還命令が出る、半数の兵は文州安定のためのこす
- 岨康の東から北の斜面を東へ登っていく甲冑もない、騎獣も馬もない武人風の十数人を目撃
- 弘始二年6月
- 二声氏 李斎へ保護を求め白雉が鳴いていないことを伝える
- 英章に李斎から 阿選謀反の報がはいる
- 英章に阿選から 李斎謀反の報が入る
- 英章、霜元に李斎討伐の指示が出る
- 臥信に帰還命令
- 英章、霜元、項梁、俐珪、臥信の部下 離散する
- 霜元、文州で離散
- 臥信、鴻基で離散
- 弘始二年6月以降
- 項梁、俐珪との連絡が途絶える
- 弘始二年8月
- 8月末 瑞雲観が焼かれる
文州出征時の驍宗の身なり
- 白髪、赤い瞳
- 騶虞(虎の様な騎獣)
- 黒い鈍銀の飾りの鎧
- 身を守る宝重
驍宗を襲った実行犯
- 赤黒い鎧で統一された兵卒 25騎
- 顔色の悪い武将が指揮官?
- 後の掃討戦で目撃され赭甲と呼ばれていた
- 赭甲は気配に敏く土匪が震え上がるほど残忍で腕が立った
堅品は阿選の叛意を知らなかったというような話だったと思うので、顔色の悪い武将とのつながりはよくわかりませんね。
白圭宮で亡霊のようになる官吏が多いですが、この顔色の悪い武将もなにかの影響を受けて操られているのでしょうか?
赤黒い鎧で統一された集団について軍の中枢にいた李斎ですら聞いたことないという話ですが、項梁曰く「驍宗の部下を覚える能力は驚異的だった」とのことなので見覚えない集団を率いるにあたり用心しなかったというのは考えにくいですよね。そのために霜元から兵を借りたのでしょうけど。
十二国記の世界で赤で思いつくのが朱旌なのですが、傭兵稼業を生業にしている朱旌がいて、それが”赤黒い鎧で統一された集団”だったりしたのでしょうか。驍宗は朱旌を良く使っていたというような記述もあったのでそれだったら警戒しない理由にもなりますね。
また、やたら腕が立つ、残忍というところも気になっていて、例えば陽子の様に賓満でブーストかかってるようなことないのかな?と。陽子と違って元々訓練された士卒だったらより賓満の効果が出そうな感じがします。
ただ景麒から借りた冗祐がたまたま剣の使い方を知っていたという可能性もありますが。
妖魔を人は操れないということなので、もし賓満が使われていたらどこぞの麒麟が指示を出していたことになるのでそれを考えるとこれも違うのかな。
老安で死んだのは驍宗なのか?
老安の武将が死んだのは李斎と泰麒が別れた頃とかかれています。
泰麒が姿を消したのは、東架を出て十日ほどたったと思う。
(略)
老安で武将が死んだのもそのころだったという。
十二章408ページより
李斎と別れて泰麒が白圭宮へ戻った後、白雉が生きていることが確認されています。
二声氏は身を屈め、竹に耳を寄せる。竹は地中深く埋められた大きな壺へと通じている。
耳を当てれば、壺の中で何かが動く音が聞こえた。壺の中に籠められた鳥が身動きする音だ。
白雉は落ちていない、と報告がなされた。
五章219ページより
阿選は白雉が落ちたとうそぶいて実権を握ったので、白雉を地中深くに閉じ込めているようです。
話の流れから老安で死んだ武将は驍宗ではない。ということになります。
他にも
- 神仙である王が盛られた毒で死ぬのか
- 遺品が驍宗のものだと確定できない
- 阿選陣営は驍宗に死なれると困る?
というようなところも驍宗の死に疑問符がつくところです。
驍宗はどこにいる?
戯れ歌を歌っていた中で、
- 老安で歌っていた武将 → 死亡
- 若者と火を囲んで歌っていた武将 → 静之
- 供え物を受け取る暗闇にうずくまる人影 → ???
とその後明らかになっていないのは暗闇にうずくまる人影が驍宗なのではないでしょうか。
その場から動けない理由を考えてみました。
- 怪我が治っていない
- 冬器で受けた傷で治りにくいとか呪術的に治らないとか
- 食べ物を流してくれる協力者がいて6年もそのままの状態というのは考えにくい
- 函養山の落盤に巻き込まれた
- 要石云々の記載があるので
- 逃げるさなか要石を抜いて閉じ込められた?
- または落石の下敷きになっているとか
- この場合どうやって食べ物を流してもらうようになったかは謎
白幟が函養山を巡礼中に道のない山に入る目的として、蘇った神仙がいないか調べるという話がありました。これは天三道(石淋観)が糸を引いて驍宗の探索をさせてるのではないでしょうか?
老安で死んだ武将は誰なのか?
驍宗麾下のそれなりの身分で行方不明になっている人物。ということになりそうです。
遺品
- 甲冑の破片
- 鎧は禁軍のもの
- 驍宗麾下で文州へ出向いていた身分の高い武将?
- 禁軍中軍将軍 英章 文州で潜伏
- 瑞州師左軍将軍 霜元 文州で潜伏
- 割れた玉佩(おびだま)のかけら(琅玕)
- 驍宗は帯紐をつけていた
- 碧双珠の様なまんまるの玉を想像していたのですがどうやら違う模様
→Google画像検索 玉佩 琅玕
- 折れた小刀
- 小刀と玉佩はよほどの地位の者
- 驍宗は小刀を刀と合わせて持っていた
驍宗どんな装備だったかなと第一巻の挿絵を見ていたのですが、
接写うまく出来ずピンぼけですが、英章の剣。
短剣に見えなくもないものと、玉佩がぶら下がってますね。
ただこの武将が老安に拾われたのが驍宗行方不明になってから2週間後ぐらい(弘始二年3月末?)なので、弘始二年6月まで文州で活動していた英章である可能性はないですね。
となると霜元から借りた腕の立つ武人あたりが妥当なんでしょうか?
委州の乱との関連
2巻の後半で委州で反乱という話がありました。委州といえば驍宗の故郷のある州ですね。故に乱直後の反発も強く、誅伐も激しかったようです。
このタイミングで委州の反乱。指揮をとっているのは潜伏していた驍宗麾下の誰かなのでしょうか?
瑞州で姿を消した、臥信かな?とも考えたのですが李斎の放浪を考えると文州で離散した面々の可能性も十分ありますね。
個人的には瑞州候帰還の話を聞いて、垂州から呂迫(南瓜大夫)が私兵を率いて馳せ参じる熱い展開希望です。仮にも司馬で軍事司っていたのだからね。
コメント
初めまして。
こぐれ、と申します。
楽しく拝読させて頂いております。
たくさんの疑問(謎?)や書かれてない事が多くて、伏線を拾い直すのに私の知的レベルでは不安なので、こちらの記載(記事)がとても参考になっております。
楽しいです。
ありがとうございます。
コメントありがとうございます。
続けて読めないのも心苦しいですが今だけしかこういう遊びはできないのと思って楽しんでます。
ほんと情報量多いのて副読本が欲しくなりますね。